じんせいは、小学校で学んだことの復習だよ。
↑ 最近、心に刺さりっぱなしの言葉。
(数年前の新聞のコピーで、コピーライターの久富和寿さんが書いたもの)
振り返れば、 本当にそうだったんだよなあと思う。
友達との付き合い方、クラスでの係、得意科目と苦手科目、運動会や発表会も、ぜんぶ人生の縮図だったんだなあと。
私の場合、得意科目は国語で、苦手は体育だった。休み時間は運動場に行って皆と遊ぶより、教室に一人残って本読むほうが好きな子供だった。
保険係で友て達のケガの手当したり、新聞係でクラス新聞書くのが楽しかったな。
それから大体の場合、マジョリティじゃなくてマイノリティ側だった。
覚えてるのが、ある日クラスで何かクラスの方針をAかBの二択で決めることになった時のこと。(何のことだったかは忘れたけど)
私は『B!』と決めてたのだけど、席を立って分かれた結果、なんと私以外のクラスメイト全員A推しで、Bは私一人だった。
(確かクラス30人くらいいたから1対29。圧倒的マイノリティすぎる。笑)
数だけが理由で負けたくなんかなくて、悔しかった。(結局すこしだけ先生を困らせてから、おとなしく民主主義に屈したのだけど)今でも覚えてるってことは、やっぱり悔しかったんだろうな。思えばその「空気なんて読んでたまるか」みたいな感覚が自分の原点な気がする。
(もっというと、そもそも多数決という決め方があまりすきじゃなかった。日本の小学校にディスカッションやディベートがあれば良いのに、と思う。そうすれば、少なくとも自分の意見を言葉にして伝える機会がある。言い負けたとしても、理屈があれば納得はいくし、悔しければ次に相手を論破する方法を練ったりできる。でもサイレント多数決じゃ何もできない・・・)
それで、そのときの自分は引き下がるしかできなかったのだけど、
自分に足りなかったのは、周りに思いを伝えて周りを動かす力だったかもしれない。と今になって思う。会社という組織(いわば学校と同じ小社会)で、企画やブランディングという「伝える」仕事をして、その大切さを学んだから。
少しずつでも、思いを言葉に。
小学生の頃の無力だった自分に、ちからをあげたいから。
「人生は、学校で学んだことの復習。」
そういえば、内田けんじ監督の「アフタースクール」という映画でもこのことを教えてくれました。主演の大泉洋が。(良い俳優だよなあ)
アフタースクール = 学校を卒業してからの人生
どれだけ面白くできるかは自分次第、という話!